「 ソネバフシへ 」

第九章 ハリネズミ

どこでも素足というのは気持ち的な壁もあったが、それもすぐに慣れてくる。暑い砂浜を歩いた後にジャングル道の木陰の硬めの土を踏むとき、そして一雨降ったあとの冷たい、トロリとした砂の中を歩くときも、言いようもない解放感による高揚を素足が仕掛けてくる。

日本には靴を脱ぐ慣習がある。靴を脱がない文化圏のゲストに比べると、ソネバフシの“NO SHOES”への感情はそれほど高まる

ものではないと 高をくくっていた。しかし、日本の慣習では外に出る時に靴を履き、家の中に入る時に脱ぐ。

家に入るときに靴を脱がぬ行為を「土足」という単語にしているくらいだから、靴を脱がないで家に入る行為は想定内なのだろう。

一方、外に裸足で出ることは、「土足」のような単語にはなっていない。

私にとっても、素足で外に出ることのほうが一瞬の躊躇の壁が高かった。砂浜を歩いているうちはいいが、ヴィラから出てレストランへ

向かう道を裸足で歩くのは違和感を覚える。そんな私のような人も、いざレストランにつくと、食事をするテーブルの下も砂であるのを

見て、「気持ち良さそうだな」と、いつの間にか自然に「NO SHOES」の世界へソネバが導いてくれているのだ。

裸足にも訓練が必要ということだろうが、そこへの導き方がさすがのソネバらしくラグジュアリーだ。

裸足が心身に与える効果は高いようにも感じる。壁は高いほど越えたときの喜びも大きいということだろう。

ところが、外での裸足に慣れると不思議なもので、こんどは建屋に入る時の土足が気になりだす。

特に自分のコテージに入るときなどは精神的にも壁が高い。

飛行機で履いたスリッパを持ちだしたりしてしまう。歩いているのが砂地のため、必然的に足に砂が付いてくる。

 

この精神的かつ物理的な課題を解決してくれたのが「ハリネズミくん」だ。私が勝手にハリネズミくんと呼んでいるだけで、

実際の名前については尋ねなかった。“くん”付けにしているが、もちろん性別も知らない。

ハリネズミくんは、コテージの玄関の横やレストランの入り口など、ソネバフシのゲストが利用する建屋の玄関脇に必ず鎮座している。

私が名付けた通り、ハリネズミのように丸い型で、針のようなブラシを備え、鼻面をゲストに向けて、各施設の玄関で必ず迎えてくれる。

私がハリネズミくんに気がついたのは、チョコレートハウスに入る際に、説明をしてくれていたスタッフが、玄関のハリネズミくんの

背中のブラシを使って「サッ、サッ」と素早く且つ流れるような所作で足の裏の砂を払った様子を見た時だ。

ここでの生活に慣れたカッコよさというか、優雅さみたいなものを感じた。

同時に、どこの玄関にも鎮座するハリネズミくんは置物でなく、ソネバフシの“NO SHOES”を優雅な生活様式に昇華してくれている

大切なスタッフの一員であるのだと理解した。

私もスタッフの所作をまねて、「サッ、サッ」と足裏をハリネズミくんにこすりあて、ソネバフシの生活が身に付いているベテランのように

カッコをつけながら、短い“NO SHOES”の時を楽しんだ。

 

なぜハリネズミくんを、名前までつけて親しむほどになったかというのには理由がある。

ハリネズミくんは足の汚れを払ってくれるという見事な仕事をこなしてくれるのだが、目と鼻もしっかり付いていて、

愛らしい面持ちをしている。しかも、その愛らしい顔を必ず正面に向けて、玄関に向かってくるゲストを待っているのである。

時としてゲストのためにハイテクも駆使するソネバフシではあるが、さすがに、センサーを仕込んでいてゲストの方を向くわけでは

ない。オーナー夫人のエヴァさんの発案で、それぞれの玄関ごとに、ゲストが歩いてくる方向を考慮して、必ず顔がゲストに向かう

ように設置しているそうだ。

確かに顔が合えば撫でたくもなる。足の汚れを落とすことも忘れない。部屋に持ち込まれる砂を最小限に抑えられる。

それにも増して「ハリネズミくん」を愛でる気持ちは、“NO SHOES”を単なるキャッチフレーズではなく、

ゲストとソネバフシの共有文化へと昇華させる一助になっているにちがいない。