「 ソネバフシへ 」

第十二章 クンフナドゥ島

「クンフナドゥ島」というのがソネバフシのある島の本名だ。

モルディブでは、島一つに対して一つのリゾートホテルを建設するというルールがあるため、ゲストはリゾートの名前を島の名前として

認識する。だからというわけでなく、私にとっては、ソネバフシは、やはりこの島であるし、この島ではなくてならないと感じる。

ソネバフシとして島が育っているように感じるのだ。

森と雑木林は異なるもので、人の生活を育くむ美しい森というのは、人が手をかけて育てあげなければできないと聞いたことがある。

人と自然が共生してこそ自然な状態であるから、人が手を入れないことが真の自然ということではないと私は考える。

クンフナドゥ島は、オーナー夫妻が1995年からリゾートとして丹精込めて手をかけ、「ソネバフシ」へと成長、

そして今現在も進化している。

ソネバフシは1400m×400mほどの細長い島で、島の周囲を一周するのに1時間ほどの大きさだ。

それでもモルディブのリゾート島では最大を誇るらしい。島の中央は木々に覆われて小ジャングルのようだ。

細長い形状で、長辺を東西に向けているため、島はサンセット側とサンライズ側に分けることができる。それぞれに桟橋があり、

サンライズ側に朝食なども取れるメインレストランがあり、サンセット側の桟橋にはバーがある。

夕陽に照らされながらカクテルがいただける趣向だ。

 

サンライズとサンセットの両海外線沿いに宿泊ヴィラが点在しており、リピーターの中にはどちらサイドにするか好みでリクエストをする

方もいるという。南国の島での滞在では、太陽と動きで人の行動や気分も左右される。

サンライズとサンセットの両方を明確に楽しめることは、滞在の楽しみにメリハリを与えてくれる。

また、島を覆う白い砂の絨毯であるが、レストランなどでは床を作り排することも可能なはずだ。むしろ多くのリゾートレスランは

そうしている。しかし、ソネバフシではあえて砂を敷いている。あえて敷いているから、毎朝早くにほうきで清掃し、ほうきの筋目

入れて整えている。5つ星のラグジュアリーリゾートでありながら、皮靴に履き替えることを強いないそのスタイルは、

創業当時の業界の常識からは異端であったと聞く。

 

ソヌとエヴァご夫妻は、この島を舞台に、ラグジュアリーリゾートの新しい基準や価値観を創造してきた。

その中身に果敢な挑戦があったからこそ、人々を惹きつける今の成功があるのだろう。2人が創った新しいラグジュアリーの価値観は、

一つの潮流となって世界のリゾートに広がった。

全てこの島での出来事と実践が原点だ。そう考えると、この島は「クンフナドゥ島」であっても、やはりゲストとして訪れる者にとっては

「ソネバフシ」としか言いようも思いようもない。

 

楽園、至福など最上級の言葉を並べても言い当てられないのが、ソネバフシの体験であったが、

そんな永遠に続いて欲しいような体験も、ゲストには終了の時が訪れる。

私は、朝8時にサンライズ側の桟橋からボートで水上飛行機の停留所へと送ってもらう算段で、ソネバフシを離れることになった。

ヴィラに最後の鍵をかけて、自転車で小ジャングルを走り抜けると、視界が開けると同時に白い砂の絨毯が眩しく輝く。

この眩しさが、サンライズ側の桟橋やメインレストランのある広い庭場に着いたことの体への合図だ。

今朝で最後の眩しさと思うと、しっかり受け止めたい気分にもなる。

周囲を名残惜しく眺め、桟橋を歩いていくと、下にはいつものように魚たちが泳いでいる。尾ひれ振って別れを告げているようにも

見える。そんなセンチな気分になるほど、別れがたい極上感が身体にまつわっていた。

 

ミス フライデーのナツミに手を取られてボートへと乗り込む。支配人のローリーとスタッフが桟橋まで見送りに来てくれた。

ボートは早い。出だしから早い。桟橋からアッと言う間に離れて進む。ローリーが大きな体で大きく手を振り、

ビッグスマイルで見送ってくれている。島から離れると桟橋の先端に立つローリーとスタッフ、そして島の全景が目に映ってきた。

サンライズ側であるから、島は朝日を全面で受けとめている。朝日独特の生命感ある色合いに照らされ、

白いシャツに白いズボン姿のローリーとスタッフもイキイキと輝き、ローリーの顔色はピンク色に染まっているようにも見た。そして、

背景には大きな傘を開いて並べたように樹木がこんもりと茂り、やはり朝日を受けて多様なグリーンのグラデーションに染まって映る。

 

私は「写真、写真、カメラ、カメラ」と、その光景を写真に納めようとしたのが、準備の悪さとボートの早さにより、滞在中のベストショットになったと思われる美しい光景を撮り逃した。

しかし、この光景に思った。海から見た「クンフナドゥ島」の壮麗さにオーナー夫妻も一目惚れをして、この島を買ったのだろう。

そして、この島に自身が立ち、島で朝日や夕日を浴びて、島の輝きを望んだのではないか。

島の輝きは、私たちの心の中に光を差し込み、よりどころとなるオアシスを生みだす。

それが「ソネバフシ」の始まりで、今もオーナー夫妻が大切に育てている。だからゲストも、この島を去る時に、また輝きに戻って

こようと思いながら島に別れを告げるのだと感じた。「ソネバフシ」は、世界のセレブリティーだけでなく、ゲストの全てに等しく、

そのような思いを育ませる力を持っているようだ。

 

「ラグジュアリー」の語源は、ラテン語のラクサス=他のものより美しい、そこにしかないもの、だという。

私は”ラグジュアリー”の本質とは、美術品のようなもので、それを鑑賞して楽しむような行為の中にあるように感じた。

美しい海に輝く島、そこにある自然、その大地に育つ食材など、ソヌの目を通して選んだものが、彼の感性で“他のものより美しく、

そこにしかないもの”へと仕立て上げられている。ラグジュアリーとは決して豪華なもの高価なものということではなく、

人の力と感性で、美しく、唯一無二のものとして創造された価値と、それを楽しむ行為の中に育まれるものだと確信した。

またいつの日か、この輝く唯一無二のものとして創造されたこの島へもどってこうようと思う。